



アテネオリンピック 体操競技 金メダリスト 銀メダリスト
北京オリンピック 体操競技 銀メダリスト
生年月日:1980 年11 月21 日
出身地:大阪府 現在:千葉県
洛南高等学校(京都府)→順天堂大学スポーツ健康科学部(千葉県)→セントラルスポーツ株式会社・順天堂大学大学院
現職:順天堂大学 スポーツ健康科学部 准教授
2003 年 セントラルスポーツ株式会社 入社・順天堂大学大学院 入学
2008 年 現役引退
2009 年 セントラルスポーツ株式会社 退社
2009 年 順天堂大学 スポーツ健康科学部 助教
2018 年 順天堂大学 スポーツ健康科学部 准教授
【経歴】
近所の友人に誘われ8 歳から体操を始める。体を動かすことが好きで、6 種目まんべんなくトレーニングをして、個人総合を目指し、体操の名門洛南高校に進学。高校1 年の時すでに翌年からの優勝を期待され、インターハイ個人総合を連覇。
順天堂大学に進学し、鹿島丈博選手とともにインカレ団体優勝に貢献。個人総合も連覇。大学院進学とともにセントラルスポーツに入社。
2003 年世界選手権にて団体銅メダル・個人総合3 位に入賞。しかし、あん馬・鉄棒の金メダル2 つを獲得した鹿島丈博選手に注目が集中。
2004 年、「栄光への架け橋だ」と名文句のアテネ五輪団体戦決勝の鉄棒最後の演技者として28 年ぶりの金メダル獲得。2008 年まで国際大会をはじめ常に活躍をし、世界に日本の冨田洋之ありという存在感を残す。
2007 年世界選手権において日本人初のエレガンス賞を獲得。2008 年北京五輪団体銀メダルを獲得後、12 月に開催されたワールドカップ・マドリード大会を最後に現役引退。
翌年母校の順天堂大学助教に就任。順天堂大学にて教鞭をとりながら、国際体操連盟技術委員として日本の体操競技の技術力の向上と世界での体操競技の技術情報の把握と発展を担っている。
また、母校である順天堂大学において体操競技部の指導者として世界に通用する選手の育成とともに体操競技メダリストとして、体操教室・講演会などを通して、体操の素晴らしさを多くの方に伝える活動を行っている。
【主な成績】
1997 年 全国高等学校総合体育大会
個人総合 優勝
1998 年 全国高等学校総合体育大会
個人総合 優勝
1999 年 全日本学生選手権大会
つり輪 優勝
2001 年 全日本選手権
個人総合 優勝
つり輪
平行棒 優勝
2002 年 VISA アメリカンカップ
個人総合 3 位
あん馬 優勝
NHK 杯
個人総合 優勝
全日本学生選手権
団体 優勝
個人総合 優勝
全日本体操競技選手権大会
団体 優勝
個人総合 優勝
つり輪 優勝
2003 年 全日本選手権
個人総合 優勝
NHK 杯
個人総合 優勝(2 連覇)
第37 回世界選手権(米・アナハイム)
団体 3 位
個人総合 3 位
2004 年 アテネオリンピック
団体 優勝
平行棒 2 位
ワールドカップファイナル
つり輪 2 位
2005 年 ユニバーシアード大会(トルコ)
団体 優勝
個人総合 優勝
つり輪 優勝
鉄棒 優勝
世界選手権(メルボルン)
個人総合 優勝
2006 年 NHK 杯世界選手権代表選考会
個人総合 優勝
世界選手権(デンマーク オーフス)
団体 3 位
個人総合 2 位
平行棒 2 位
全日本選手権
個人総合 優勝
アジア大会(ドーハ)
団体 2 位
個人総合 3 位
あん馬 優勝
ワールドカップ決勝(サンパウロ)
つり輪 6 位
平行棒 5 位
2007 年 世界体操選手権大会
団体 2 位
全日本体操選手権大会
個人総合 優勝
2008 年 ワールドカップカタール国際
鉄棒 2 位
北京オリンピック
団体 2 位
【主な活動】
<指導実績>
2009 年~ 2012 年 日本オリンピック委員会 専任コーチ
2011 年 世界体操選手権 ロンドン大会 日本チームコーチ
2012 年 ロンドンオリンピック 体操競技 日本チームコーチ
<メディア>
読売新聞 冨田洋之の目
NHK 体育ノ介・番組名『ためしてガッテン』収録
文芸春秋 『Number』
日本テレビ 2015 体操アジア選手権大会 解説
<資格>
日本体操協会 審判資格
<役職>
国際体操連盟 技術委員
日本体操協会 東京オリンピック強化本部 体操競技男子 強化本部 アドバイザリースタッフ
日本体操協会 国際委員会 委員
スポーツ庁 競技スポーツ課等技術審査委員会専門員